「越後国三条 鍛冶の歴史」写真1

「越後国三条 鍛冶の歴史」写真2
和釘

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【第5回】  三条和釘のおこり(西暦1625〜1628)

三条の領土は幕府の直轄領となって、代官の支配するところとなった。 寛永二年(1625年)江戸時代前期の四年間、二代大谷清兵衛が代官所奉行として三条に在城した。清兵衛は誰にもできる家釘(和釘)の製造を思い立ち、江戸から釘鍛冶職人を招きその製造方法を三条領農民の副業として指導奨励した。
和釘の製作は次第に盛んとなり、殊に燕(三条の領内)の農民は、後に釘鍛治を本業とし、ついに釘鍛冶千人、問屋数十件を数えるにいたった。
城下の三条商人にその販売権をゆだねた。江戸、京阪まで販路がひろがり、このことは、後々まで続き、鉄物の販売については、三条商人の特権とまでなった。

代官の奨励や発想のように伝えられているが、三条鍛冶のルーツは先に述べたが如く、遠く平安時代、南北朝、室町の時代を経た三条鍛冶職人のDNAが脈々と我々の祖先の技術継承に繋がったものと確信したい。
「宝剣作の舞」がどんな理由で平安の御代に起こったか、婁[たたら]町前期に「鞴[ふいご]」で鉄を叩いた跡があったか・・・などなど、江戸の釘つくりに繋がるべくして繋がったとしか考えようがない。

<資料添付  第1回〜第5回まで>
三条市教育会発行 遺跡発掘調査速報展 三条歴史民俗産業資料館
福島県大沼郡会津高田町教育委員会
<参考文献>
渡辺行一著 「三条の歴史」 野島出版
<文責:長谷川 晴生>

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