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初代竹風作・虎斑に巻菱湖の文字拡大

秘蔵の駒、将棋盤と駒置拡大

島黄楊の原木

磨いた原木 杢が入る
拡大

同じ模様を揃えていく

虎斑の模様拡大

愛用の道具 小刀、指当て、台拡大

彫りの手元

漆の作業場拡大

漆入れ

盛上げの方法 彫埋めからさらに漆を重ねる作業途中段階の駒

取材風景





プロ将棋のタイトル戦で使われる駒。もちろん最高の手作り品であることは間違いない。
しかしそれが、ここ三条で作られているのを知る人は少ないだろう。

三条は駒作りの産地かといえば、そうではない。 それどころか、他に一軒もない。
珍しいというより、全国でも、極めて稀な職である。
東京の職人はすでに絶え、大阪に二人、大産地である山形でも数人となった駒職人の世界だが、いまだその正統を守る職人が、三条にいる。

江戸から明治…戦前の良い駒は東京で作られていた。 次いで大阪、そして山形と続く。 現在は良い駒を多く産出する天童でさえも、往時は質的に劣っていた。
実は、職人は東京の出身である。 櫛職人であった祖父を持ち、駒作りを始めた父である初代竹風と、東京は本所で仕事をしていた。
父親である大竹竹風は、近代将棋駒の駒師にして祖である、奥野一香や豊島龍山の流れを汲む、正道の駒師である。
棋界で名工と称される竹風は、太平洋戦争末期の大空襲の後、祖父の出身である三条に疎開してきたのであった。 そしてここで仕事を再開した。

「三条は木工が盛んでしょう。それでよかったんじゃないかな…」
ここ三条には、刃物鍛冶が鍛えた最高のノミやカンナがある。 当時から、道具にはまったく不自由しない土地であった。
竹風は終戦後もついに東京に戻ることなく、ここに居を構えた。

「私は盛上げ駒というのを作ります。」
プロ棋士が対戦で使う駒は、字が盛り上がっている。 それを盛上げ駒という。 一般に売られているスタンプ駒、書き駒のような普及品の他に、字面を彫った彫駒、それを漆で埋めた彫埋駒、そしてさらにその文字を立体的に表現する盛上げ駒があり、職人はこの最高を作っている。
文字を彫るところから、漆を入れていく作業は最低三ヶ月はかかる。 一瞬たりとも気の抜けない作業である。
そして盛上げを施す時には、さらに集中が途切れないように、ひとり部屋に篭もる。 空気が動かないよう、あくまで静かに、そして誰も部屋に入れない。
漆は温度と湿度によって乾き具合が大きく変化する。 そのうえ、同じ温度・湿度でも、同じ乾き具合になるとは限らない。 昔から「漆は生き物」と云われる所以である。 天然漆は湿度が高いと早く乾き過ぎるため、表面と内部とで乾きに差が生じ、縮れてしまう。 そのため、湿度の高い梅雨時には、より細心の注意を必要とする。
氏は幾つかの漆を独自に配合して筆を進める。 延びと粘りの高度なバランスが難しい。 丁寧に、そして静かに、超極細の蒔絵筆を進めていく。

そんな氏が毎年欠かさないものがある。 それは伊豆七島の御蔵島を訪ねることだ。 材料の買い付けをするためである。
駒の材には、黄楊(ツゲ)を使用するが、御蔵島産の島黄楊が最高とされる。 港がなく、ヘリコプターや小船でしか行けない原生林の残る孤島である。
黄楊は成長が遅く、百年でやっと大人の腕くらいの太さにしかならない。 そのうえ、木目の良し悪しは切ってみるまでわからない。
切り出して、担いで下した材は徹底的に乾燥させ、狂いが止まるまで四〜五年は寝かせる。気の長い話であるが、最高の材を相手に急いてはいけない。
その目には二種類があり、木目の直ぐに通った「柾」と、美しい斑が入る「杢」に分けることができる。
特に杢は、虎のように波目が美しい虎斑、孔雀の羽を思わせる孔雀杢をはじめ様々な模様があり、ひとつとして同じものはない。 このように美しい斑が入るものは、乾燥すると材が狂い、暴れるため、さらに長く置いてゆっくり乾燥させる。
それは、かざすと光によって妖しく表情が変わる、自然の織りなす魔性である。 これに魅入られた者はそこから抜け出ることができないだろう。

「これはという駒を作ったことがなくてね…」
駒師を極めた竹風も、良い材との出会いだけは、自分ではどうしようもない。 彫りは自分の腕次第ではあるが、木地との出会いは、相手が自然なものだけにどうすることもできない。
そして将棋の駒は、一組四十二枚すべてが揃っていなければならない。 木地も彫りも完璧でなければならない。 木地にしろ、漆にしろ、自然の素材が相手だから、「完璧」を求めるのは不可能であることはわかっていても…。
「一組で良いから一生涯に一度、妥協のまったくない駒を作ってみたい…」
父である初代竹風でさえもなしえなかった、最高の島黄楊との出会い。
「でも、もしそんなのに出会えたら……手元から離せないでしょうね。」
笑って答える職人が望むのは、自身の熟達という領域を越えたところにある。

 


孤高の職人は、出会いという一瞬の煌きを待ち望みながら、静かに蒔絵筆を進めていく。