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インダスプレス
2006Vol.02
 
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県央工業高校のレスリング部拡大

県央工業高校レスリング部顧問 原 喜彦

気概(タイトル)
県央工業高校(旧三条工業高校)のレスリング部

底冷えの道場にぴーんと張り詰めた空気があった。
今回は県央工業高校(旧三条工業高校)のレスリング部顧問をされている原喜彦先生をご紹介する。

氏は平成9年赴任後、翌年にはレスリング同好会を設立(平成13年正式に部活)以後今期まで連続でインターハイ出場という偉業を成し遂げた。また3年後の2009年には国体を控え、当校は県内でも5本の指に入る強化指定校。監督を筆頭にさらなる強化体制をつくりあげている。

新潟・巻農高(現巻総合高)から日体大で活躍、88年ソウル・92年バルセロナ両五輪の代表として出場した。努力ではい上がり、五輪選手にまで成長した選手だ。指導者になった今も、その反骨精神は健在である。県教員としてのスタートは、まだレスリング部のない新潟北高校だった。何もないところからレスリング部を立ち上げさらに実績を上げていく軌跡を「ただ自分のやってきたことを正直に伝えてきただけ。やってないことは教えられないでしょ。」と軽く語る。

レスリング場も設備もない。生徒の中には経験者もほとんどいない。そんな中で、これだけの実績をあげるには並大抵のこととは思えない。かなり卓越した指導力と言うべきだろう。工業高校という環境、新潟県(特に県央?)という地域特性もあると続けた。
製品の仕上げをきっちりと行うのと同じ。新潟県人のおとなしさは裏を返せば我慢強さ、しつこさ、粘り強さ等々。実はレスリングの技にも県民性が出るという。
しかし、「私は生活指導も含め、指導はかなり厳しいよ!」と微笑む。
信念としてもっている『常在戦場』がごとく、365日の練習を初めとして、いかに集団生活の中で非日常的、非民主的なことをやり続けていくか。やるからには強くなりたいという心。レスリングで勝つには24時間どう過ごすか、が肝心。練習は2時間でも、残りの22時間をどう過ごしたかで差が出る。特にレスリングは個人種目であるからそこに結果がついてくる。最終的には何が自分の中に残るか。学生生活が終わり世の中の社会に出てからが勝負だと語る。

今はもっぱら指導者としての喜びを感じている。入学して何も分からない、特に他種目からレスリングに入った生徒を育てる。右も左も分からない生徒が、1年また1年と年を重ね、大会に出てゆく姿に指導者としての喜びがある。
長い間、自分が選手としてがんばってきた喜びと、全く違う喜びがそこにある。生徒がインターハイで活躍した際に味わう感動は、格別だ、と締めた。
社会現象として、ニートだの無気力症候群とされる最近の若者の中にあって、この精神をもってレスリングに取り組む若者には無縁で、彼らは輝いて見えた。

取材を終え、道場を後にした。この空気、何かににていると思った。火造りに代表される鍛冶職人の集中力、職人魂、この地域に潜む気概なのかもしれない。

 

 
 
 
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三条工業会広報委員会