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インダスプレス
2006Vol.03
 
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万能鍬

『花とかじや』草取り

相田忠雄 鍛冶 にいがた県央マイスター

鍬(タイトル)
万能鍬

新潟県三条地域振興事務所が、新潟県県央地域のものづくりに関わる高度熟練技術・技能者と認定した「にいがた県央マイスター」の一人、相田忠雄氏を訪問した。

忠雄氏は現在、株式会社相田合同工場の会長である。相田合同工場はもともと忠雄氏の母方の伯父やっていた会社だそうだ。忠雄氏の父親は婿で、大工を生業としていた。相田合同工場の社屋は忠雄氏の父親が建てたものらしい。
時は第2次世界大戦の最中、忠雄氏は中学卒業に際し、伯父の勧めもあり、相田合同工場に入る事になった。夜は定時制高校に通いながらの就職だった。最初は見習いのような形だった。毎日真っ黒くなって働いた。最初は雑用が多かったが、時間が経つにつれ、少しずつ重要な部分を任せてもらえるようになっていった。相田合同工場は、もともと忠雄氏の伯父たちががやっていた会社であったが、時と共に、一人抜け、二人抜けたりで、最終的に残ったのは、忠雄氏と、彼の父親くらいであった。その後、鍬を作り続けて55年、忠雄氏は現在70歳、以下は忠雄氏の話である。

私のところでは鍬を作るだけでなく、修理もずいぶんと手がけている。三条には農機具を扱う問屋さんがたくさんあったんだ。問屋さんが、たまに変わった鍬の修理を持ってくると、それはどこに出荷するのか聞くんだ。気がつくと、ほぼ日本全国の鍬を修理してたよ。逆に今では、若い問屋さんたちに、たとえば、甲州や、中京の方に行くときは、どんな鍬を持っていったら良いかなどと聞かれるようになったよ。昔、私が問屋さんに教えてもらった鍬の種類のノウハウを、今の若い問屋さんたちに教えられるようになった。鍬もによってずいぶんと特色があるんだよ。
製品作りでは、「安かろう、悪かろう」ではなく、手を抜かないように、品質を落とさないように、最終ユーザーの方たちに満足のいく製品を、とこだわってきた。プレス仕事で、ポンとできるような安物の鍬などは、何処にでもあるが、それでは満足できないお客様が増えてきたように思う。今だからこそ、私が持っている技術を若い世代に引き継いでいかなければならないと感じている。この商売は人間が生きていくうえで、基本の部分、農業をまかなっていく部分がある。機械化されていると言っても、鍬を使う部分がどうしてもまだあるんだ。
小学生たちが校外学習として時折見学に来るよ。鍛冶技術の継承のためにも、そういった子達にアピールしておき、汚い、うるさい、熱いといったことばかりではなく、物を作る楽しさをある程度教えていければと思っている。現在持っている技術を伝えると言うことは、これからも品質を維持していくと言うことにつながる。
鍬に関して言えば、鍛治の経験がある人でも、こういう農具を作ったことがある人はあまりいない。形だけの問題ではなく、軽さを保ちながら、肉厚を出したりというやり方とか、強度を持たせながら軽くすると言ったように、見た目だけではできないような要望に応えている。形だけのプレス製品では、軽いが強度に問題があり、すぐ曲がってしまう。ユーザーの中でも、こだわりのある人は、修理代が新品の70%〜80%かかっても、自分の手に馴染んだものがいい、と言うことで、修理して使っているよ。同じものが、何回も直しに戻ってくることもあるんだ。鍬というものは、使うことが砥ぐということ。だから鍬は鋼が良い。裏が生で表が鋼。だからいつまでも刃が付いている。鋼の厚さと生の割合が重要なのだ。
長い年月の中で、ここ10年の間に、自分の気持ちに変化があった。息子が入社してから、物を作ることに専念すればよく、物つくりの面白さを再認識した。ただ、商売をやっていく上で、単価的な兼合いもあり、そこまで丁寧にやらなくても、と言われることがあるが、こちらもこだわりがあるため譲れない。以前、問屋に無理を言われ、最終的に「焼き」を入れない商品をホームセンターに出荷していた同業の知り合いがいた。「鍛冶屋なんだから、「焼き」くらい入れたほうがいいのでは?」と言ったことがあったが、「単価が安すぎて、焼を入れるどころではない」と言われた。私自身は肝心要なところを省くような仕事はしたくないと思っている。
今、会社は息子が後をついでやっている。自分が65歳になったら会社をたたむつもりだったが、10年ほど前に息子が証券会社を辞めて会社に入ってくれた。全く畑違いの所から入るため、まず、訓練校に1年間通わせて材料から覚えさせ、次に溶接、鍛造の基本を勉強させた。
今、考えることは、自分自身が培ってきた技を、自分一代で終わりにするのではなく、世の中に何らかの形で伝えて生きたいと言う事。鍛冶は基本を覚えるまで10年かかる。私自身もこれまで55年やってきたが、面白みが出てきたのは、ここやっと15〜6年。若い人人たちに、少しでも本物を使ってもらい、作った人の苦労や、作る面白さを分かってもらえたら一番良いと思う。本物に触れ、本物の良さを認識することによって、「自分でも作ってみようか。」と思う人が中には出てくるかも知れないから。

 

 
 
 
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三条工業会広報委員会